四国八十八箇所、完全歩行2回。車で1回。

| コメント(0) | トラックバック(0)

Ohenro-huku.jpg
1986年に、何も知らずに、1番札所へ。大昔祖父が少しだけ歩いたとの「うろ覚え」があって。諏訪の1月は寒い、四国は暖かいだろうと。3日に1回か2回は民宿に泊まった。10ヶ目位からの「足の痛さ」は「拷問だ」よ、痛くて歩け出せない、もう走った。夜 足が痛くて、涙ポロポロ。足摺岬への長丁場もこなして、松山の道後温泉にも浸かる。最後のお寺への山道は雪が、でも完全歩行ができた。元気になったのを実感した。A型急性肝炎での3ヶ月間の入院生活で筋肉が落ちて、入院したのは日航機の墜落事故の夏、病院でTVを見たのを覚えています。元気になって、ネパール ヒマラヤへ、微小水力発電建設再開へ。

Ohenro-kiji.jpg
2回目は逆廻り(逆打ち)寄り道も楽しんで、全部野宿さ。銭がかかるから、でも、完全歩行の苦しさを知って、なを今回あえて決心したからには、途中で失敗したら死のうと自分に言い聞かせての開始でした。徳島まで68kmの道路標識を見た時に、ここからなら 這ってでも徳島にたどり着ける!ようやくここで、緊張を解いた。命懸けのお遍路さん、お寺さんには迷惑な歩き人?銭払って朱印と納経帳。
3回目は自家用車で、スイスイ。これではなんのゴリヤクも無いわ。バス、タクシーで回るのは、足の不自由な方だけで、健常者が車使ったら、ニセお遍路さんです。はっきり言います、「歩け」、全部歩いて下さい。別世界が開ける。自分との戦い。ウソじゃない。五体投地?チベット仏教徒はスゴイ。
たまたま、月刊「現代」12月号、P188、「霊山寺に、歩き遍路用の記帳を89年から始め、137人」を読んで、1986年、88年に完全歩行してしまった私の「アホ」さ。当時の山道は冬でも雑草が生い茂り、年間10人位の感じでしたよ。ほとんど「歩き遍路さん」に出会わなかった、順路だったせいもあるが。88年の逆廻りは10人位と出会いました。立ち話を交わして、ココロザシを同じゅうする者同士の会話は心から楽しい。高野山のプロ僧侶が「葬式仏教」と非難したのを記憶しています。
現代仏教は何処へ?聖職者は遊んだらダメ、結婚しても堕落さ。修行が足らない。普通の人よ。
ネパール、ルンビニはお釈迦様の生まれた地。当時は、原始仏教に興味があって、須弥山のヒマラヤでな、50歳で性欲が無くなったら、宗教をやろうかなと。でも57で後継者を作った凡人には無理でした。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.laozhaishan.com/mt/mt-tb.cgi/389

コメントする

このブログ記事について

このページは、林克之が2005年1月11日 00:46に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「喜多郎立って、つかまりながら足元の品を拾える。蛍光灯の品質。」です。

次のブログ記事は「後継者「喜多郎」名刺が人気!」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。