昔の船は。”竹イカダ”消える。

| コメント(0)

0814-40ikada-akaihune 007.jpg動力
送り風があれば、帆を揚げて上流へ。紀元0年頃には既に運河があり、広州から揚子江(上海!)そして北京までも運河が通じていた。以前は車、道路がホトンド無く、大量輸送は船だったから。

0826-TV-takeikada 013.jpgTVでも写った
老寨山の名が入った”竹イカダ”が忽然と消えた。前回の時は船長さんが対岸に在るよと教えてくれて取りに行ったが、今回は見付かっていない。前回は華奢な鎖を切られて。今回は丈夫な鎖が残り”竹イカダ”の一部を破壊しての行為。妻に「公安に届けるか?」、「中古品で値打ちはワズカしか、届けない」。日本でも貧しかった終戦直後はコソ泥が多かったと。日本の農家は鍵の要らない世界だった、こちらは全く逆の、日本とは違います。沖縄、与那国島(台湾の東隣りの島)は夜も扉を閉めなくて新妻は困ったとも(沖縄復帰の時の話)。

コメントする

このブログ記事について

このページは、林克之が2005年8月27日 01:12に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「遠くでケムが?」です。

次のブログ記事は「27日中国中央CCTV-7で、」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。