お茶
御客様が入れて下さり、プーアル茶を皆で飲む。本来は逆?小さな民宿だから、心の触れ合いが。
2005年10月アーカイブ
鯉のぼり
当館(老寨山旅館)の前に立てて、乗客から見える?日本人なら判る!!29日は降雨(15mm位)で止めたが。
企画
全日空旅行社が興坪をも企画かな、下調査に来られて。
着岸
桂林からの大型観光船が全部「興坪」止まりは、10ヶ月振りかな。
赤いレンガが山積み、御客様を御迎えする気持ちが、、、、20元札の風景地でもある興坪なのに。。。。アグラをかいていると女神は遠のくだろうヨ。
自家のザボン(沙田柚子)30個程収穫。手入れしないので、水分少なく仕方ないか。
受賞
下手な字で済みません(寮さんが来られたら、自筆サインを石に)石を準備します。
匂う
金木犀が庭で咲いた、例の匂い、入り口にも飾った。今年は開花が遅かったな。ザボン(沙田柚子)甘みがない、はたして30日の収穫に、、、、
パレード
続きに写真3枚。その他に、撮影大会、農産物展示、舞台公演、バスケット試合、自転車ユックリ、等など、パレードも楽器やダンス、色々あり。農村の娯楽かな。興坪の下流3kmにお寺があり、参拝者が2000人位かな(往復の船賃10元也、政府も船主も、お寺も皆儲かった!)今後(多分)毎年行われるだろう。
石を
平らな石を探して運び、書き、訪問記念。想い出に残ろう。上海からの語学留学生。夕方に刻みペンキを入れておきました。
http://www.guangda30.com/彼のHPです。是非お立ち寄り下さい、写真も文章も正しい表現です。
廟会。
仏教の催し、波止場に歓迎アーチ、旗も多数飾られ。鎮政府も出資、今年から大々的に。旧暦9月19日は、10月21日です。どの位のニギワイかは。
この度の受賞、オメデトウ御座います。
この作品中に、「ヒマラヤで微小水力発電の話し」が出てきます、私の昔の活動でして、御紹介有難う御座います。
下の”続きを読む”にコピー、解説かな、入れておきます。
(寮美千子さんのHPや、「楽園の鳥 カルカッタ幻想曲 」等、検索でイロイロ調べてみて下さいませ。)
日本から
喜多郎に靴、衣類も贈られて、有難う御座います。
喜多郎の特別写真を写したのですが、スッポンポンなので掲載は止め。
ただよう水草を「熊手」で集め岸に引き上げる。手製の熊手、針金を曲げての物、創造が楽しい。自転車が動かなくなった!前輪が動かない、修理屋への運搬も大変、前輪をハズシ分解したら原因が解った「ボールベアリング」が割れて回らない。鉄玉とグリスを買いに、素人修理完了。大昔、小学5年生頃、学友と理科の実験?自転車を分解して、、、組み立てられなかった!(バラバラの車体を運んだ記憶が)。後輪は歯車もあり複雑そう、業者にお任せ。7〜8年も乗った小型自転車、最初からハンドルに前後ガタがあった(日本メーカー名が!多分ニセ)。
4泊
香港の知人の紹介で、有難う御座います。喜多郎も大好き!
分岐点
先に「和平亭」がある、左に登り始めると山頂へ。ペンキが薄くなったので。裏面に平仮名、カタカナのイワレを記して。
興坪鎮人民政府が99年9月建立の石碑を、破壊人が。”石仏投棄”から半月で再び山に登る、興坪鎮党書記(トップ)に連絡。
1名は福岡の農業人、1名は長野県諏訪市の製作所社長(電話で判明)。こちらからは「鯉のぼり」が日本人にはハッキリ確認出来るから。
砂を
船から陸へ、そしてトラクターへ。今日は「青竹」をトラクター3台分も!
プロ写真家が「写真集が出来る」と。それぞれに、生き生きした表情が、色々な物資も在るし、どなたか老後の楽しみに腕を磨いて!!
ニューヨーク在住13年の方が、NWのTVで「老寨山旅館」を視ました!もう世界的やな!広州の方も地元TVで見ましたヨ!広く伝わり、嬉しいです。後継者「喜多郎」の為に、その喜多郎が”ちっちゃい”を言った!”ママ”と”アイー(お婆ちゃん)”発音して、まだ意味までは。
3回目
第4回、第5回目の余白を残して。今回は連泊されて、ヤン堤へ徒歩も。
小学校
毎年春3月に咲く「桜花」が10月に!記録写真。
「金木犀」今年はまだ咲かない、異常気象かな?
記念に
乗船者全員に配られる「案内パンフレット」の”表紙の写真”を、老寨山山頂からの写真を載せ続けて下さった。印刷枚数が1000万枚以上でしょう。
玄関
1人立ち、独歩が出来る様になり、危なくて目が離せない。自己主張も強くなり、それだけ成長して来たのですがネ。
動く
木製のオモチャ、「置物」、精巧な動くミニチュアです。広州からの贈り物。
道具
100V工具を日本から、当然トランスが必要で。ドリル、錐(キリ)も日本から。工作する楽しさは銭には代えられない!海外生活する方は「修理は自分で」1つには「没頭できる」「創造の楽しさ」”安い”から。木工ヤスリも日本から、のこぎりも。ネパールヒマラヤでも、タイ国北部でも”修理”、可能な限り。将来は溶接工具も、鉄工場が出来るかな?(昔板金工なり)。
贈り物
喜多郎の衣服、食料品が届いた。感謝感激。早速地元の知り合いと昼食に、美味しい「いわしの甘露煮」我らは大好物なのに、彼女らの口には合わない!辛くないから?北京人や外国人は日本の佃煮が大好評なのに。地元民はカレーライスも口に合わなかったな(香港、広州ではカレー専門店もあるのに)田舎さ。
石板に。
石板の角度をどう使うかなと、興味津々で、でも意外にアッサリと。
皆様の「御旅行の記念」に、石碑の想い出が増えます。連泊の方は御申し出下さい、記憶に残る‘ユニークの方も。