寮 美千子著「楽園の鳥 カルカッタ幻想曲 」泉 鏡花文学賞を受賞。

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この度の受賞、オメデトウ御座います。
この作品中に、「ヒマラヤで微小水力発電の話し」が出てきます、私の昔の活動でして、御紹介有難う御座います。
下の”続きを読む”にコピー、解説かな、入れておきます。
(寮美千子さんのHPや、「楽園の鳥 カルカッタ幻想曲 」等、検索でイロイロ調べてみて下さいませ。)

 寮 美千子さんの紹介文です。

■ヒマラヤの山中に煌々と輝く電灯の話
Mon, 04 Feb 2002 06:35:12
1993年のこと、ヒマラヤのアンナプルナ内院をトレッキングした時のことだ。アンナプルナ山系を源流とするモディ川最上流の村チョムロンまで来たとき、わが目を疑った。山中に煌々と灯る電灯。それまで、どの村にも電気はきていなかったのに、どうしてここに? 道案内のシェルパが「あれは、ハヤシという日本人がつくった電気だ」というので、わたしはさらに驚いてしまった。

その時に、まず思ったのは、どうしてこんな山奥に電気を灯さなければならないのか?ということだった。そんなことをするボランティアの日本人のことを、正直いって「おせっかい」だと思ったのだ。確かに不便だったが、夜の闇が、ほんとうの深い闇になる山の暮らしを、その時、わたしは好きになりつつあった。

しかし、よくよく話を聞いてみて、わたしは自分の間違いに気づいた。電気があるから、山の木を伐って燃料にしなくてすむ。そのために、自然破壊がとまった。それまでは、里から高い灯油も買わなければならなかったし、それを運ぶための労力も一方ならぬものがあったけれど、その必要もなくなったので、さほど現金収入の必要がなくなった。その分、生活に余裕が生まれた。灯油を買うために無理な仕事をしないでもすむようになった。つまりは、いいことづくめだ。

ある程度はエネルギーの自給自足ができるようになったおかげで、自然破壊も止まり、エネルギーを他者に依存しないでやっていける体制が、村に整った。自立した暮らしができるようになったわけだ。

そのせいもあってか、チョムロンの景色は、他の村とはまるで違った。スイスの別荘地のような、落ち着いたたたずまい。豊かさの度合いが、他の村とは格段に違うらしい。

そのエネルギーの供給源は、川。アンアプルナを源流とするモディ川の水で、水車を回して小規模な発電を行っている。これなら、生態系にも深刻な影響を与えることもない。

現在の電気漬けの都市生活では、それくらいの小規模発電の電力では、とてもすべてをまかなうことはできないかもしれない。しかし、そういうスタイルをすべての人が取り入れることで、少なくとも「足りない」と言われている電力の(それもウソらしいけど)ある部分はまかなうことができるのではないか。原発のような大規模発電にばかり巨大投資していないで、そのような小規模発電の研究開発に投資したり、助成金をだして普及させることで、どれだけいい結果が得られるかしれない。

そのような投資は、丼勘定、などというわけにいかなくて、原発からみたら、まるで駄菓子屋さん規模の商売にしかならないのかもしれない。だから、企業も政府も、力を入れようとしないのだろう。しかし、それでいいのか?

チョムロンの発電装置は、トレッキングにやってきた日本人・林克之さんが、すっかりネパール贔屓になり、独力で始めた事業だという。ネパールの雨期は日本で働いて稼ぎ、そのお金でネパールの地元で入手できる資材を購入、自ら敷設して少しずつ発電量を増やしていったという。アメリカのアーティスト、故アンディ・ウォホールも、このプロジェクトに賛同してカンパを寄せたという話もある。

しかし、このような事業を個人任せの美談に終わらせてはいけないと、わたしは思うのだ。小規模なクリーン発電の開発。こういうことこそ、社会や企業が総力をあげてするべきことではないだろうか。いままで原発につぎ込んだお金をそこに使っていたら、どんなにか違う社会になっていただろう。目先の利益でなく、真の利益を目指して動く社会や企業。そういう体質をつくるのは、どうしていったらいいのだろう。


寮美千子  ヒマラヤ・東京・桂林 2002年07月12日(金)04時13分23秒 http://ryomichico.net
▽arigatou へのコメント
ローマ字で暑中見舞いをくださった林克之さんは、ヒマラヤ山中の村に水力発電の灯ををともした方。真っ暗な闇の中で煌々と輝く村の光を見たときは、幻を見ているような気がしました。そこは、アンナプルナ山系モディ川沿いの最奥の村。そこから先には、もう人は住んでいない。そこに至る途中の村にさえも、電気はなかったのに、なぜこんな山奥に電気が? そのときのことは、レビューでも書いたが、昨年の新聞連載小説「楽園の鳥」でも触れている。
2002/3/8 306雲母片岩
 村に着いて、あまりの美しさに目を疑った。石造りの別荘風の家々が立ち並び、窓辺には花が咲き乱れている。雪を戴いた山々が一望できるバルコニーもある。川沿いでいちばん奥の村だというのに、夢でも見ているようだ。
 聞けば、この村では川の水を利用して水車を回す小規模な発電をして、全戸に電気を引いているという。それを、ヒマラヤ贔屓の日本人が一人で作ったというので、また仰天してしまった。
 何もこんなところまで煌々と照らして、やわらかな闇を追放しなくても、と最初は思った。
 しかし、話を聞いているうちに納得した。電気があれば、燃料の木を切らずに済む。麓から灯油や蝋燭(ろうそく)を運ぶ必要もなくなる。それらを買うための現金もいらない。自家発電の電気のお陰で、この村に、自給自足の小さな理想郷が出現したのだ。
 美しい村。文明が崩壊した後に楽園があるとしたら、こんな姿をしているのかもしれない。
帰国してから調べてみると、その日本人は林克之さんという方だとわかった。レビューに書いたのは、小説で書き足りなかったエネルギーと環境の問題だ。

その林さんは、投稿してくださった。どのようにしてCafe Lunatiqueにたどりついたのだろう。暑中見舞いをいただいて、うれしい。林さんは今、中国の桂林にある興坪=Xingpingという町にいるらしい。明代の街並みの残る美しい町のようだ。そこで、何をしていらっしゃるんだろう? そう思ってWebで調べてみたら、こんな記事が。またもやエネルギッシュに活動していらっしゃるらしい。
http://www.agrias.com/hayashi/2002-1.htm

こんなふうに見知らぬ人と人を結びつけ、言葉を交わさせてくれるWeb。マスコミが大々的に喧伝しない出来事を、ひっそりとでも人々に送り続けることのできるWeb。Webというメディアを得て、みんなが小さな発信器になれる世界は、やっぱりいい世界だとわたしは思います。もちろん、そのひとりひとりが、本来放送局に求められるべき自己検証性を持つことが前提ではあるけれど。

林さん。ヒマラヤの村、チョムロンのその後のことを、よかったらお聞かせください。
みなさん。わたしは書いた林克之さんに関する小さな記事、読んでみてください。

review0000.html#review20020204063512

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コメント(3)

林さんって、何者だろう?(失礼!)とこのHPを見た時から(約1年前)思っていました。やはり、『ただもの』ではありませんでしたね。「ヒマラヤ山中の村に水力発電の灯」・・・私もそんな仕事を連れ合いにさせたく(彼は水関係の土木屋)「定年を待たず、ネパールで有意義な仕事をしようよ!」と誘っています。ちなみに私は化学屋であまり使い物にならないので・・。『楽園の鳥 カルカッタ幻想曲』を読み始めています。旅行記を読むのが大好きなので、とても面白いです。今年5月、興坪への旅を中止し、ならば、私1人でも秋に出かけよう、と思っていた矢先に再就職してしまい、当分旅はおあずけです。HP楽しく読ませてもらってます。ありがとうございます。

興坪の自然も、ヒマラヤの大自然も当分ありますから、御ユックリと。
寮美千子さん著「楽園の鳥、、」著者が贈って下さると、楽しく読みたいです。
私し本人は、自分を「普通の人」と想っているのですが、知人はヒューズの1本でなく5〜6本も飛んだ人と言います、それが解りません。でも、何故か多数のメデアが紹介して下さり、ヒマラヤでも興坪でも幸いにも活動が評価されて。
興坪には、ノンビリと御越し下さいませ。化学の活用を捜しましょうヨ。

化学の御仕事、「ヒノキ」の枝からの化学物質が、「果物を新鮮に保存出来る」。
南方の果物を北方へ輸送したくても、腐敗してしまう、檜の枝で(どうするか聞き忘れた、檜は日本原産とか)果物を新鮮に保存出来るのですと。檜は福建省に有るらしい?檜林を見付けたら高収入になると!ならば化学で創れば。見付けたら貴女は南方の生産者から「恩人」です。

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このページは、林克之が2005年10月19日 02:04に書いたブログ記事です。

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