2001年7月発行、いつ頃何処で購入したかも 忘れた。興味のある資料は、"初期の中国共産党員(桂林)"1925年、26年、37年入党などの最初の人達が、密告などで国民党(系)に殺されている。又 1934年11月「中央紅軍 長征 途中最大的一次血戦」、桂林の北での"河を渡る戦闘"で 7万の兵士が半分以下に。
"桂林(中国で、だろう)最初に「亭」を造った外国人"。山道を拓き、山頂に「友好亭」を建てた外国人、確かに私が(多分 中国で)最初の人だろう。(文中の 博士でもなく、設計もしていない ヨ。)
多分、小さな旅館を開いたのも 最初では。(大きなホテルは既に沢山在った)。
又 都市には外国人が多数住んでいたが、多分 田舎に住むのも初めての日本(国籍)人ではないかな?
「友好亭」を造る時には 全然"初めての外国人"など考えもしなかった。結果で知った。既に ネパール ヒマラヤ山中での「氷河の雪解け水」利用の"微小水力発電"建設という、世界初のボランテイア活動をした後だったから、、、
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