桂林にて、「国際ヤオ族研究会」があり、その参加の前後に滞在しました。
老サイ山に、ザイルで引っ張り上げてもらったのが、11月末か。
翌97年元旦から、村人が勝手に山道仕事を始めた!!(始めていた!)
私の 正式決断前に。
踏み跡程度の、山道を、鍬で、はっきり段差を付けて。
(今の山道は翌98年元旦からの、大掛かりの第2期山道です)
セメントは、3基の鉄梯子の所だけ使いました。
大ハンマーで岩を割り、積み重ねて石段を。
今は この3基の鉄梯子は、白ペンキを塗り、安全欄干で使用しています。覚えてる?
この、第1期 山道工事は、作っても、どれだけの人が登ってくれるのか!
「1日1人が登ってくれれば」そんな想いで。4千元位だったか。
5月完成。
3基の鉄梯子が、”恐い”の評判が悪くて!!
山頂に行けるが、山頂は、日差しが強くて”暑い”屋根を付けたら!!
それじゃあ、と、亭子(あずまや)をと、
図面を広東に人がくれた。県政府もOK.97年秋。
随分「日本鬼子」と言われました よ。
「日本軍のスパイ」 か。
過去に旧日本軍が2回も来ていると、
田舎、落後の村では、、、何でも 面白く脚色されたウワサ話が好きで、
まして、TV,映画で刷り込まれた”抗日思想教育”が輪を掛けて!!
「日本鬼子」が、、、、、
政府の人に問うた「日本人だが、問題ないか?」
「それらはもう 過去の事で、林さんには関係ない」
「亭子、是非造って下さい、協力します」。申請書類を全部書いてくれました。
彼とは、その後 ズート お付き合いしております。
亭子建設に幾ら必要か?
図面があり、体積計算をし、セメント、砂、水の必要量を調べ、総重量を計算した。
荷揚げのポーター代、原材料費、鉄筋、その他で総額2万3千元と算出した。
工事請け負い人の試算が、安い1万7千元。
これでは完成出来ない、と。むしろ途中での銭持ち逃げや、途中放棄を心配。
23000元で工事せ!(見積もり額より高い金額で。アホか?)
政府立ち会いで、契約した。
結果は、それでも資金不足で、泣きが入ったが。ポーター代が7掛けに。
中国での、契約(田舎だが)日本の常識は、ね。