2005年10月31日

功夫茶。石碑を記念写真。

1028-Zhongshan-konhucha022.jpgお茶
御客様が入れて下さり、プーアル茶を皆で飲む。本来は逆?小さな民宿だから、心の触れ合いが。

1029-isi-Zhongshan 024.jpg記念に
新車で来て、すぐに石碑群をデジカメ映像したので、「記念署名」をお誘いして、翌朝に達筆で。
1021-sekihi-kinen-3.jpg通りすがりの人
記念写真に収める場所になった!!テゴタエを実感。

2005年10月30日

興坪波止場に大型観光船が来る。

1027-koinobori-1.jpg鯉のぼり
当館(老寨山旅館)の前に立てて、乗客から見える?日本人なら判る!!29日は降雨(15mm位)で止めたが。

1020-suiro-2.jpgユンボで深く
20日、ユンボで浚渫。毎年の仕事。
1029-hune-zasyou20.jpg座礁
チョット操舵を、流れと浅瀬で5分程の座礁。後ろの船が汽笛を長く鳴らして通り越した、止まりたくても止まれない状況でさ。
1029-hune-dosun8.jpgアチコチでドスン!
湾内?水流があり、操舵が難しくアチコチでオットット!ドスン!!
地元の小船はスイスイと、流れを知り尽くしているから。
1028-hune-yoko-hukanou8.jpg岸壁に横?
他の船が行けない!船をアヤツル技術が。観ていて飽きない船の動き。

2005年10月29日

ANAハローツアー。ソビエトの人も投資!

1026-Matuwaka-ANAisi5.jpg企画
全日空旅行社が興坪をも企画かな、下調査に来られて。

1026-OK-ANAisi-9.jpg石板に、金木犀と
ハローツアーが当館(老寨山旅館)を御利用になります様にと期待して。
1023-Soren-hito-isi-5.jpgソ連(正式名称は?)
興坪の老街の1軒を買いたいと、
1024-isi-soren 011.jpg珍しい国名
ロシア語の表示??英語、中国語がペラペラでロシア語で二人は会話。語学に強い人がいるのですね。
 先日泊まられた上海からの語学留学生のHPで「興坪」が紹介されましたので彼のHPアドレスは、http://www.guangda30.com/正しく表現されています。是非読んで、写真を観て下さいませ。

2005年10月28日

大型観光船、全部が「興坪」止まり。

1027-hune-1.jpg着岸
桂林からの大型観光船が全部「興坪」止まりは、10ヶ月振りかな。
赤いレンガが山積み、御客様を御迎えする気持ちが、、、、20元札の風景地でもある興坪なのに。。。。アグラをかいていると女神は遠のくだろうヨ。

1027-hune-khito2.jpg御土産屋さん
下船の御客さんが歩いて。
臨時御土産の場所取り争いが朝にあり、シャッターは押したが使える写真はなかった、どう構図と瞬間を、難しいな、プロに教えを乞う。
1027-hune-takusan.jpg総数22は数えた
この時だけで、来る船、帰る船、待機の船、この他に写真には写っていない着岸の船、着岸待機の船、27日は全部で何艘かな?70?総乗船者数は?4000人?御迎えバスの数は?
27日は暑かったが、天気予報では29日降雨(本格的降雨は3ヶ月振りかな)。

2005年10月27日

ザボン収穫。ハネムーン世界一周。夕方に到着。

1026-OK-Kitarou-zabon-2.jpg
自家のザボン(沙田柚子)30個程収穫。手入れしないので、水分少なく仕方ないか。

1025-aroundWarld-isi 018.jpg2年以内の新婚旅行、世界一周予算は400万円也!
1024-megu-Kitarou3.jpgなついて
無事の御旅行であります様に。
1026-Yuuhune-tate-18.jpg夕方。夜8時にも船
上流で座礁か、到着が皆遅れて、最終は夜8時だった!御客様もガイドも運転手も大混乱!27日から全船「興坪」停まりですと。道路が全部バスで埋まる!

2005年10月26日

寮美千子さん受賞の石碑。23日山頂と石文。

1024-isi-ryouJyusyou1.jpg受賞
下手な字で済みません(寮さんが来られたら、自筆サインを石に)石を準備します。

1024-isi-KFC 008.jpg上手な署名
デコボコ石にさらりと署名、達筆がウラヤマシイ。12月に再来すると。
1023-Seki-santyou-2.jpg久し振りに山頂へ
ゴミ拾いしつつ、「廟会」と土日で大勢の人が「絶景の老寨山山頂(無料)」に登ってくれたから、袋一杯に。カップルは夕陽を見たいと。
1024-isi-Seki 009.jpgADSL会社にお勤め
”また帰ってきます”泣かせる文。肌白美人の奥さんと御幸せに。

2005年10月25日

北京の画伯ー2

1022-RiGong-gasyuu6.jpg表紙
天安門、人民大会堂、釣魚台迎賓館に飾られる、北京の画伯でした。ビックリ。

1022-RiGong-ga.jpg裏表紙の画。
中国を代表する画伯の1人です。
1022-RiGong-2ga.jpg絵葉書にも。
次回にはキット興坪の風景が、そう期待して。
1022-RiGong-setumei.jpg略歴、読めるかな
人民大学教授、コンクールの金賞、銀賞が多数の中国を代表する画伯です。
老寨山旅館とは格が違い過ぎる!厚かましくも「1枚下さい」と言ってしまった我。知らずに御願いして、石碑に署名して下さり感激!(勿論永久保存)。次回の御来訪時には(勿論)無料御接待です。

2005年10月24日

金木犀が咲く。牛。石板を固定。

1023-Kinmokusei-3.jpg匂う
金木犀が庭で咲いた、例の匂い、入り口にも飾った。今年は開花が遅かったな。ザボン(沙田柚子)甘みがない、はたして30日の収穫に、、、、

1023-yamamiti-usi.jpg山道に牛。
草を食べに、小牛と。牛の後ろを通過!牛は横に蹴るか!(馬の後ろは禁物)草を食べに最後には石門まで登ります、重たい体重なのに。
1022-RiGong-isi2.jpg首なし石仏の横に
北京の画伯サインの石板を固定した、「廟会(仏教)の日」なので記念に。画伯は今年か来年には中国政府派遣で日本に行くのでは。
興坪古街、ロシアの人も家屋購入(15万元)に来た!発展する興坪!?!陽朔の街、店舗1年家賃で15万元(レストラン)内装、服務員、雑費で計算すると1日1000元は利益を。当館は50元で良し??

2005年10月23日

興坪のお祭り(旧暦9月19日、廟会)

1021-Miaohui 011.jpgパレード
続きに写真3枚。その他に、撮影大会、農産物展示、舞台公演、バスケット試合、自転車ユックリ、等など、パレードも楽器やダンス、色々あり。農村の娯楽かな。興坪の下流3kmにお寺があり、参拝者が2000人位かな(往復の船賃10元也、政府も船主も、お寺も皆儲かった!)今後(多分)毎年行われるだろう。

1021-Miaohui 012.jpg
1021-Miaohui 013.jpg
1021-Miaohui 015.jpg
私は、宿に御客様で、近場でチョットだけ。来年からは喜多郎がかな。

2005年10月22日

写生の画伯ー1

1021-RiGong-5.jpg朝に。
連泊の北京からの画家に「勘」で御願いして。
御名前を始めて知る。

1020-pekin-gahaku.jpg昨夕の写生
自然風景を、桂林在住のお弟子さんと。
1021-sain-RiGong-26.jpg夕方、サイン入り画集を。
略歴を読んで、ビックリ、恐縮しました。
朝に石板に御願いした時点では、あくまでも「勘」です。印象で、何となく。
気軽に、「1枚当館(老寨山旅館)に!」失礼しました。格が2段も違った!
続きは、パートー2で。

2005年10月21日

記念の石。オオムラサキ?泣く喜多郎。

1020-Shanhai-kitarou- 012.jpg石を
平らな石を探して運び、書き、訪問記念。想い出に残ろう。上海からの語学留学生。夕方に刻みペンキを入れておきました。
http://www.guangda30.com/彼のHPです。是非お立ち寄り下さい、写真も文章も正しい表現です。

1020-OhMurasaki-1.jpgオオムラサキ?
日本の国蝶。小学生時代に蝶チョ、昆虫採集に興味があって、今回教えてくれた。昔取ったキネズカ!に脱帽!!これからは気にして観察します、沢山飛んでいる様ですから。
1020-naku-kitarou- 009.jpg甘え泣く
思いどうりにならないと、すぐに”甘え泣く”、すぐに’泣き止む’が。床に寝そべって’抵抗の姿勢’も、放っときます。小皇帝!シャオホンテイの言葉が、一人っ子政策で皆から(両親、祖父母)可愛がられて、皆が甘えん坊で。

2005年10月20日

廟の祭り。湖南から写生に。

1019-MiyaoHui-2.jpg廟会。
仏教の催し、波止場に歓迎アーチ、旗も多数飾られ。鎮政府も出資、今年から大々的に。旧暦9月19日は、10月21日です。どの位のニギワイかは。

1019-MiyaoHui-butai.jpg舞台も出来て。
バスターミナル駐車場に演舞台。バックの写真も素晴らしい、老寨山も。
1019-konan-gaku-syasei-4.jpg湖南省から高1生。
15歳で遠路はるばる写生に来られた。経済的に豊かになったな。上に当館の”鯉のぼり”見えるかな。写真が悪いな。
1019-konan-gaku-syasei-1.jpg
これなら良いでしょう。

2005年10月19日

寮 美千子著「楽園の鳥 カルカッタ幻想曲 」泉 鏡花文学賞を受賞。

この度の受賞、オメデトウ御座います。
この作品中に、「ヒマラヤで微小水力発電の話し」が出てきます、私の昔の活動でして、御紹介有難う御座います。
下の”続きを読む”にコピー、解説かな、入れておきます。
(寮美千子さんのHPや、「楽園の鳥 カルカッタ幻想曲 」等、検索でイロイロ調べてみて下さいませ。)

 寮 美千子さんの紹介文です。

■ヒマラヤの山中に煌々と輝く電灯の話
Mon, 04 Feb 2002 06:35:12
1993年のこと、ヒマラヤのアンナプルナ内院をトレッキングした時のことだ。アンナプルナ山系を源流とするモディ川最上流の村チョムロンまで来たとき、わが目を疑った。山中に煌々と灯る電灯。それまで、どの村にも電気はきていなかったのに、どうしてここに? 道案内のシェルパが「あれは、ハヤシという日本人がつくった電気だ」というので、わたしはさらに驚いてしまった。

その時に、まず思ったのは、どうしてこんな山奥に電気を灯さなければならないのか?ということだった。そんなことをするボランティアの日本人のことを、正直いって「おせっかい」だと思ったのだ。確かに不便だったが、夜の闇が、ほんとうの深い闇になる山の暮らしを、その時、わたしは好きになりつつあった。

しかし、よくよく話を聞いてみて、わたしは自分の間違いに気づいた。電気があるから、山の木を伐って燃料にしなくてすむ。そのために、自然破壊がとまった。それまでは、里から高い灯油も買わなければならなかったし、それを運ぶための労力も一方ならぬものがあったけれど、その必要もなくなったので、さほど現金収入の必要がなくなった。その分、生活に余裕が生まれた。灯油を買うために無理な仕事をしないでもすむようになった。つまりは、いいことづくめだ。

ある程度はエネルギーの自給自足ができるようになったおかげで、自然破壊も止まり、エネルギーを他者に依存しないでやっていける体制が、村に整った。自立した暮らしができるようになったわけだ。

そのせいもあってか、チョムロンの景色は、他の村とはまるで違った。スイスの別荘地のような、落ち着いたたたずまい。豊かさの度合いが、他の村とは格段に違うらしい。

そのエネルギーの供給源は、川。アンアプルナを源流とするモディ川の水で、水車を回して小規模な発電を行っている。これなら、生態系にも深刻な影響を与えることもない。

現在の電気漬けの都市生活では、それくらいの小規模発電の電力では、とてもすべてをまかなうことはできないかもしれない。しかし、そういうスタイルをすべての人が取り入れることで、少なくとも「足りない」と言われている電力の(それもウソらしいけど)ある部分はまかなうことができるのではないか。原発のような大規模発電にばかり巨大投資していないで、そのような小規模発電の研究開発に投資したり、助成金をだして普及させることで、どれだけいい結果が得られるかしれない。

そのような投資は、丼勘定、などというわけにいかなくて、原発からみたら、まるで駄菓子屋さん規模の商売にしかならないのかもしれない。だから、企業も政府も、力を入れようとしないのだろう。しかし、それでいいのか?

チョムロンの発電装置は、トレッキングにやってきた日本人・林克之さんが、すっかりネパール贔屓になり、独力で始めた事業だという。ネパールの雨期は日本で働いて稼ぎ、そのお金でネパールの地元で入手できる資材を購入、自ら敷設して少しずつ発電量を増やしていったという。アメリカのアーティスト、故アンディ・ウォホールも、このプロジェクトに賛同してカンパを寄せたという話もある。

しかし、このような事業を個人任せの美談に終わらせてはいけないと、わたしは思うのだ。小規模なクリーン発電の開発。こういうことこそ、社会や企業が総力をあげてするべきことではないだろうか。いままで原発につぎ込んだお金をそこに使っていたら、どんなにか違う社会になっていただろう。目先の利益でなく、真の利益を目指して動く社会や企業。そういう体質をつくるのは、どうしていったらいいのだろう。


寮美千子  ヒマラヤ・東京・桂林 2002年07月12日(金)04時13分23秒 http://ryomichico.net
▽arigatou へのコメント
ローマ字で暑中見舞いをくださった林克之さんは、ヒマラヤ山中の村に水力発電の灯ををともした方。真っ暗な闇の中で煌々と輝く村の光を見たときは、幻を見ているような気がしました。そこは、アンナプルナ山系モディ川沿いの最奥の村。そこから先には、もう人は住んでいない。そこに至る途中の村にさえも、電気はなかったのに、なぜこんな山奥に電気が? そのときのことは、レビューでも書いたが、昨年の新聞連載小説「楽園の鳥」でも触れている。
2002/3/8 306雲母片岩
 村に着いて、あまりの美しさに目を疑った。石造りの別荘風の家々が立ち並び、窓辺には花が咲き乱れている。雪を戴いた山々が一望できるバルコニーもある。川沿いでいちばん奥の村だというのに、夢でも見ているようだ。
 聞けば、この村では川の水を利用して水車を回す小規模な発電をして、全戸に電気を引いているという。それを、ヒマラヤ贔屓の日本人が一人で作ったというので、また仰天してしまった。
 何もこんなところまで煌々と照らして、やわらかな闇を追放しなくても、と最初は思った。
 しかし、話を聞いているうちに納得した。電気があれば、燃料の木を切らずに済む。麓から灯油や蝋燭(ろうそく)を運ぶ必要もなくなる。それらを買うための現金もいらない。自家発電の電気のお陰で、この村に、自給自足の小さな理想郷が出現したのだ。
 美しい村。文明が崩壊した後に楽園があるとしたら、こんな姿をしているのかもしれない。
帰国してから調べてみると、その日本人は林克之さんという方だとわかった。レビューに書いたのは、小説で書き足りなかったエネルギーと環境の問題だ。

その林さんは、投稿してくださった。どのようにしてCafe Lunatiqueにたどりついたのだろう。暑中見舞いをいただいて、うれしい。林さんは今、中国の桂林にある興坪=Xingpingという町にいるらしい。明代の街並みの残る美しい町のようだ。そこで、何をしていらっしゃるんだろう? そう思ってWebで調べてみたら、こんな記事が。またもやエネルギッシュに活動していらっしゃるらしい。
http://www.agrias.com/hayashi/2002-1.htm

こんなふうに見知らぬ人と人を結びつけ、言葉を交わさせてくれるWeb。マスコミが大々的に喧伝しない出来事を、ひっそりとでも人々に送り続けることのできるWeb。Webというメディアを得て、みんなが小さな発信器になれる世界は、やっぱりいい世界だとわたしは思います。もちろん、そのひとりひとりが、本来放送局に求められるべき自己検証性を持つことが前提ではあるけれど。

林さん。ヒマラヤの村、チョムロンのその後のことを、よかったらお聞かせください。
みなさん。わたしは書いた林克之さんに関する小さな記事、読んでみてください。

review0000.html#review20020204063512

カナダ、アラスカ。

1018-Canada-isi003.jpg石に。
記念の石が増えます。フランス人も近日中に!記念の石壁を2台のカメラに多数写して行きましたから。

1018-Canada-002.jpg
共に広島県で3年間の英語教師、上手な日本語にビックリ。私の中国語9年なのにサッパリ上達しません(努力しないし、覚える意欲が)語学に才が、右だか左の脳がね。
石にサイン、固定保存は、「世界広し」と言えども、’当館だけ’でしょう。石壁を見付けた中国人も撮って行きますもの!成功やな、喜多郎の学資へにも道。

2005年10月18日

日本から靴。夕陽。ザボン。

1011-Kitarou-kutu.jpg日本から
喜多郎に靴、衣類も贈られて、有難う御座います。
喜多郎の特別写真を写したのですが、スッポンポンなので掲載は止め。

1017-yuuhi-hatoba-2.jpg波止場の夕陽、
角度で太陽が反射して。
1006-zabon 007.jpg無料ザボン
酸っぱくて、私は食べないが。来週かなザボン(沙田柚子)収穫するのは、甘いザボンを300個は確保したい。御客様のデザートに、御世話になっている方に、自分達用に。見知らぬ人のザボン売りには、酸っぱいのも、苦味、甘くない、水分不足等、外見では判らぬ、美味しくないザボンも売られてな。

2005年10月17日

道具。

1003-mizukusa-dougu 012.jpg
ただよう水草を「熊手」で集め岸に引き上げる。手製の熊手、針金を曲げての物、創造が楽しい。自転車が動かなくなった!前輪が動かない、修理屋への運搬も大変、前輪をハズシ分解したら原因が解った「ボールベアリング」が割れて回らない。鉄玉とグリスを買いに、素人修理完了。大昔、小学5年生頃、学友と理科の実験?自転車を分解して、、、組み立てられなかった!(バラバラの車体を運んだ記憶が)。後輪は歯車もあり複雑そう、業者にお任せ。7〜8年も乗った小型自転車、最初からハンドルに前後ガタがあった(日本メーカー名が!多分ニセ)。

1003-osikanna-dougu 014.jpg押すカンナ
カンナも以前手造りしたよ、ノミで木をくり抜いてな。鰹節削り器を贈ってもらったな。そう言えば、牛丼の牛肉は薄い切り身な、包丁では無理、凍結してカンナで削れば!結果は、薄すぎて失敗。
1002-Takebo-to.jpg竹イカダが変身
エンジンスクリュウーで爽快に。はたして?

2005年10月16日

愛される喜多郎。UK,HK。

1014-Engl,Hongk.jpg4泊
香港の知人の紹介で、有難う御座います。喜多郎も大好き!

1015-OKisi UKHK-002.jpg記念に。
1015-OKisi Isya003.jpg広州の医者。
広州でもしもの時、片言の日本語ですが親日家、それなりに御役に立てれるのでは。医学会の役職も。

2005年10月15日

ペンキで上塗り、4回目かな。

1011-bunsiten-kitarou.jpg分岐点
先に「和平亭」がある、左に登り始めると山頂へ。ペンキが薄くなったので。裏面に平仮名、カタカナのイワレを記して。

1011-hiragana-bo-do.jpg平仮名、草書から
昔に漢字の草書から「平仮名」を作った!創った!濁音の「が行」、鼻に抜ける”が行”もあるのですが、ローマ字表記も同じGA, GI、GU, GE、GO。日本語を学ぶ人には難解ですよ。てにおはの助詞も。日本人はRとLの区別が出来ない。つの濁音、すの濁音の違い??このパソコンも困る。日本語は世界でも難解の言語の1つです。
1011-katakana-bo-do.jpg日本学科の学生も
カタカナが覚えきれない、平仮名が全部で「ぽぴぷぺぽ」も含めて幾つかな、それにカタカナも覚えないと、カタカナを全部書ける学生が何名いるかな?多くはカタカナでツマズク!!余り使わないし(教科書に沢山は出て来ないから)。
カタカナは漢字の一部を活用して創作したものなので、発音が昔ですが漢字の一部なので覚えるキッカケになればと、ペンキで書いています。次の機会にはペンキが消えない様にコンクリートに刻んで永久保存!をと。どなたかこの無償の奉仕作業をされる希望者は?

2005年10月14日

破壊人、再び山へ!公安が調べるも、、、、

0929-kinenhiDa-2.jpg
興坪鎮人民政府が99年9月建立の石碑を、破壊人が。”石仏投棄”から半月で再び山に登る、興坪鎮党書記(トップ)に連絡。

0929--kinenhiDa- 1.jpg破壊
何故か「林克之先生」だけを!過去の日本軍のTV一大キャンペーンの影響?
石佛投棄と共に、来訪時に鎮党書記に写真で報告しておいたので。公安が来て破壊を確認、破壊人を調べるも「異常人」なので公安派出所の管轄ではない、、、、午後前回と同様に船で異常人は帰っていった。
0929-kyukeijyohakai 007.jpg
前回、山道途中の休憩所をも破壊、修理に半日かかった。
破壊人が公に認定された、でも再発防止にはならない。石仏も、誰が損害賠償?石碑「名無し」のままでの放置が、オヤッ!誰?印象に残る石碑で一番効果的かも。ただ心配なのは、凶暴化した異常人の破壊行為がどこまで進行するかだ(もしもの場合、公に正当防衛が認められるが)。

2005年10月13日

観光船から「挨拶」、’鯉のぼり’で日本人を表示!

1012-Akiyosi -kakudai009.jpg
1012-Akiyosi-kakudai 013.jpg
1名は福岡の農業人、1名は長野県諏訪市の製作所社長(電話で判明)。こちらからは「鯉のぼり」が日本人にはハッキリ確認出来るから。

当館(老寨山旅館)は波止場脇にありますが、森の中で見えない位なので、興坪の給水塔(上水道のポンプ室)で「鯉のぼり」を振って!!(中国では「日の丸」が、まだ危なくて!)。観光船で桂林から船下りされる方は御一報下さい!旅の想い出造りに「鯉のぼり」を振りますから(多忙の時は御断りする場合も御了承下さいませ)(川の水量が減ると観光船は興坪停まりになりますが)。
ドイツ語HPに我がHPが紹介されて(読めないドイツ語、写真がね)8月23日を、
http://www.blogigo.de/nicole-michel/200509スイスの学生カップルです。
近頃は香港からの予約御客様が多いです、有難う御座います。

2005年10月12日

興坪の波止場、大阪のプロ写真家曰く「写真集が出来る」

0928-suna-8.jpg砂を
船から陸へ、そしてトラクターへ。今日は「青竹」をトラクター3台分も!
プロ写真家が「写真集が出来る」と。それぞれに、生き生きした表情が、色々な物資も在るし、どなたか老後の楽しみに腕を磨いて!!
ニューヨーク在住13年の方が、NWのTVで「老寨山旅館」を視ました!もう世界的やな!広州の方も地元TVで見ましたヨ!広く伝わり、嬉しいです。後継者「喜多郎」の為に、その喜多郎が”ちっちゃい”を言った!”ママ”と”アイー(お婆ちゃん)”発音して、まだ意味までは。

0929-corn-butaniku-7.jpgモロコシと豚肉
袋の口が開きザーと落ちて、皆で集めて。片や豚肉を2人で担いで。
1005-tyuusyajyou-6.jpg新駐車場!
屋外緑下即席レストラン!確かに特等席やな。当館の庭も将来は屋外レストランに!
レンガ屑の捨て場を斜面にしたら、新駐車場になった!

2005年10月11日

夕陽、4枚。

asaitayama-yuuhi-2-1002.jpg朝板山
20元札の風景で、喜多郎の子守りを自転車で行く。

0929-WB-guide-yuuhi 022.jpg美女と山頂で、
昨日も、若い女性欧米人も登っていたが。私は生コンを天秤棒担いで階段修繕、森の中、美味しい空気、労働で食事も美味い。
1004-yuuhi- 026.jpg波止場で
電線は見え無いか、5時54分。
1005--santyoukara-hansya-8.jpg金色の反射をも
時間と場所で、角度が。
山道を赤スプレーで‘矢印‘もう間違う事はないと想うが、(下の‘公衆トイレ‘の表示も多数あるのですが、視ずに間違う!人もいる)。
夕陽は6時04分。

2005年10月10日

3回目の御宿泊。山頂からの写真。

1005-Isi-Tong-18.jpg3回目
第4回、第5回目の余白を残して。今回は連泊されて、ヤン堤へ徒歩も。

1005-Isi-Tong-5.jpg広州から
旅行社幹部(社長さんかな)、娘さんはフランス系企業代表!リピーター、有難う御座います。
1005-sita-santyoukara5.jpg鳥瞰写真
左下、白い枝の先に当館(老寨山旅館)の屋根が、波止場の脇です。
左、船が在るのが波止場。上部の川は支流です。橋がかかっている。
右中上、白い所がバスの駐車場。古い街並みの道、広い新しい道。
老寨山旅館は波止場の左脇に在ります。よろしく。

2005年10月 9日

秋に桜が咲く。友好親善団。

1008-sakura-6.jpg小学校
毎年春3月に咲く「桜花」が10月に!記録写真。
「金木犀」今年はまだ咲かない、異常気象かな?

1008-sakura-2.jpgピンクの花も
葉が数枚しか残らず、桜花は15程開花。
1006-yuukoudantai-4.jpg団体の記念写真
写真を郵送しました。
1008--IzokukaiIsi 002.jpg記念の石。
石に刻んだ溝に、埋め込むペンキの色、色彩感覚‘0‘の私。済みません。

2005年10月 8日

首なし菩薩、亀石が「和平亭」9月29日に、�。

29-kubinasi Da-22.jpg??

829Hepin-Butuzou.jpgこの首なし石仏が
2体安置されていたのに、川に捨てられた!!と。
昔ここには「白廟」があった場所で、1966〜76”文化大革命”時代に紅衛兵に破壊された、と聞いている。埋まっていた「首なし石仏」を安置したのだが。
0929kameisi-hakaiiDa-6.jpg亀の石に
首の所も1部が打ち砕かれて!破壊者にはタタリが、この石には昔からの”タタリ伝承”があり(昔、亀石の頭を破壊した者の船が沈没し多数死亡して)、祭られて来た亀石だから。
その男は、大声でワメキ散らしながら船で対岸へ。何処の国にも居るから。

2005年10月 7日

乗船観光案内パンフレット撮影者

1005-Mou-Isi-1.jpg記念に
乗船者全員に配られる「案内パンフレット」の”表紙の写真”を、老寨山山頂からの写真を載せ続けて下さった。印刷枚数が1000万枚以上でしょう。

0929-yuuhi 032.jpgこの風景が表紙写真
国内、海外に広く紹介されて。絶景ポイントなのですね。
1004-isiMou- 007.jpg紹介者
山道を作った当時からの、古い御友達。

2005年10月 6日

新しい服。ケーキを自分で食べる。

1004-kitarou- 021.jpg玄関
1人立ち、独歩が出来る様になり、危なくて目が離せない。自己主張も強くなり、それだけ成長して来たのですがネ。

1002-mcake-kitarou-5.jpgケーキ
1002-cake-jibun-20.jpgスプーンを自分で
今までは手づかみだったのが、自分でスプーンを口に。日増しに成長しています。ママに向かって「ママ」の発音?まだマンマとも近いが。聞き取れない”独り言”を沢山言ってはいる、私からは日本語、ママからは中国語、おばちゃんから地元方言、欧米人からは英語で、キット頭の中が混乱していましょうゾ。

2005年10月 5日

木製置物。カエル。テント。

1004-WoodToy-12.jpg動く
木製のオモチャ、「置物」、精巧な動くミニチュアです。広州からの贈り物。

kaeru^garasu-3.jpgカエルがガラス窓で
虫取り、虫食い。自然界の姿。
1004-tent- 2.jpg中州にテント
自然が一杯の興坪、歩く観光客が多数。写真愛好家も多数。自家用車族も。

2005年10月 4日

木のワッパ!「子連れ狼」を口ずさみながら。

1003-kinowa-dougu 001.jpg道具
100V工具を日本から、当然トランスが必要で。ドリル、錐(キリ)も日本から。工作する楽しさは銭には代えられない!海外生活する方は「修理は自分で」1つには「没頭できる」「創造の楽しさ」”安い”から。木工ヤスリも日本から、のこぎりも。ネパールヒマラヤでも、タイ国北部でも”修理”、可能な限り。将来は溶接工具も、鉄工場が出来るかな?(昔板金工なり)。

1003-kinowa-dougu 003.jpg木で輪を
プラスチックの輪が壊れたので。代替品を探したが。
1003-kinowa-dougu 009.jpg完成
シトシトピッチャン、シトピッチャン。テーマ曲を何となく口ずさみながら、乳母車の輪を木で、子供は「大五郎」だったか。輪を直さない場合は捨てるしか!モッタイナイ!

2005年10月 3日

日本から贈り物届く。混雑、人出。

1002-morau-10.jpg贈り物
喜多郎の衣服、食料品が届いた。感謝感激。早速地元の知り合いと昼食に、美味しい「いわしの甘露煮」我らは大好物なのに、彼女らの口には合わない!辛くないから?北京人や外国人は日本の佃煮が大好評なのに。地元民はカレーライスも口に合わなかったな(香港、広州ではカレー専門店もあるのに)田舎さ。

1002-konzatu-2.jpg地元船フル回転
興坪の道路に自家用車、バスがアフレテ、まともに歩けない位の大混雑。何せ「国慶節の1週間」、20元札の風景地もヤットの大ニギワイ!!(今でも観光案内に乏しく、細い道路しか、案内板も無い!が)上流のヤン堤からの歩行者も34℃の暑さに、グッタリ。民族の大移動!3億人余とか、都市生活に余裕が生まれ観光へ、田舎にも少しは潤いが回ってくる! 興坪には自然風景、都会生活者のウルオイの場所。(無料)老寨山にも多数の登山者。
toire-5kaku-1002.jpg
5角(6円)トイレ使用料、私設で。公設でも民が勝手に徴収!中国の田舎さ。

2005年10月 2日

アメリカの会社、WB。

0929-isi-WB-11.jpg石板に。
石板の角度をどう使うかなと、興味津々で、でも意外にアッサリと。

0929-WB-card 017.jpg名刺を見て。
WBのマークを直感で、ワーナーブラザーズ!ですか?と質問。
エクゼクテブ(意味が判らなかった)ダイレクター。独身、毎年の1ヶ月を中国に旅行すると。美人ガイド、運転手付きの旅。
0930-WB-isi- 008.jpgWBの色
HPを探して、薄緑色に。USAを目立つ赤色に(もうレッドチャイナではなくなった!)。気さくな人、連泊を上機嫌で出発、嬉しかった我等。

2005年10月 1日

石に自ら刻み、ペンキを入れ、記念記録。

0930-isi- 007.jpg
皆様の「御旅行の記念」に、石碑の想い出が増えます。連泊の方は御申し出下さい、記憶に残る‘ユニークの方も。

0930-nakayama-isi- 002.jpg
定年退職を待って「スケッチ旅行」開始、健康にて行きたい場所へ、世界をアチコチ、残りの人生を有意義に、気ままな一人旅、価値有る「旅創り」、当館(老寨山旅館)も協力します。興坪には自然しか在りませんが。
上流の”ヤン堤”へ、3,6,9の市の立つ日に午後1時出発の”ヤン堤往復船”が最高の船旅かも、タップリ風景3時間半(冬は寒い!)。