2006年7月31日

スイカに蝶?アブラゼミ。サトウキビ畑。

0728-suika-kontyuu.jpg蝶?蛾?
蛾の一部が蝶ですと、これは蝶?或いは蛾かな。じみな羽根では蝶に分類されない?

0728-Aburazemi-.jpgアブラゼミと思う
木々が生い茂り、強風が吹いた後に、沢山のセミが落ちている。
夜に鳴いているのはどんな昆虫?時には鳥の鳴き声も。自然の中の我が館で。
0726-Satokibi-hatake-.jpgサトウキビ畑
(バスの中から、)植え付けから1年半で収穫とか、冬の霜が大敵ですと。
絞ったカスから紙が造れる、資源の再利用を!

2006年7月30日

京都から定年退職者、1週間の滞在。

0728-kizamu-5.jpg石に刻む
40年間の賃金労働、御苦労様でした。京都では毎日 2〜3時間歩くと。
今も歩いて上流方向へ御出掛け、62歳 健康です。

0728-egaku-1.jpg刻んだ石にペンキを
自分で創る楽しさ。タップリの時間が有るから。
0728-isi-Kyoto-.jpg次回に、想い出して
又の御滞在を、、、、物価の安い所で ノンビリ。
 ここ興坪は、風光明媚な 大自然しか在りませんが。
ノート パソコン持参、雑多な本も有るし、味噌、醤油の味付けで、、、、
日本人で日本語で 「至福」の日々。滞在型のユッタリ旅人が増えよう、そう期待して。

2006年7月29日

画家の絵、宝物です。

0728-jyoryuGaka-E-1.jpg寄贈
有難う御座います。

0728-jyoryuGaka-17.jpg女流画家
ベレー帽で。
0728-Jyoryu-isi-.jpg記念の石
有難う御座います。

2006年7月28日

収穫、バスの窓から。

0726-kikai-hitonose-.jpg人の背
脱穀機を”ヨイショ”で運搬。二期作の一期目を収穫、田植えも始まる。
(走るバスの窓から、ピンボケ写真の御許しを。)

0726-Dakoku-.jpg脱穀風景
足踏み脱穀機も、動力脱穀機もあります。
0726-suigyu-ga-.jpg水牛が田んぼを 起こして
耕作面積が少ないので機械化は。昔からの伝統農作業。
0726-hosu-.jpg収穫した籾を乾す
コンクリートの上に、天日干し。突然の降雨には、濡らさぬ様に もう大変!

2006年7月27日

老寨山山頂から、真下の波止場と支流。自然Energy。

0723-teibou-1.jpg足元を
覗き込むと。波止場が、当館(老寨山旅館)の屋根も(今回は枝の陰で写っていないが)、
山頂で”足がスクム?”人もいるかも!私達はもう慣れて何とも感じませんが。220mの高度差。

0723-teibou-2.jpg支流の堰堤?ダム?(日本語が)
何の為に?観光用、竹イカダを浮かせる為、山並みが綺麗に川面に反映しますし、、、、
0723-teibou-3.jpg手前の門の下が エグラレテ
先日の豪雨の大濁流で、(本流は少しだけ水量が増えただけで終わる)。
0723-teibou-5.jpg向こう側、大きく エグラレタ
堰堤?を造った時も、洪水で一度 少し修繕したが、今回のは強烈な大濁流で、下部がエグラレテか”水の力”はスゴイ。すご過ぎた、造って3年目かな。
 大昔、ネパール ヒマラヤ山中での‘微小 水力発電(1〜3kw)‘水力を電気エナジーに転換、、、、
落差ある 水力の有効活用を実践していましたが。
 自然エネルギー(Energy)の活用は 面白い科学です。
公衆無料トイレの汚水(?)から、メタンガスを取り出して、台所のガスコンロで燃焼。排水は液肥で活用。蝿も発生しない、完全クリーン、”一石三鳥!”の有効活用でさ。

2006年7月26日

お茶、台湾の御客様が毎度入れて。

0724-Ocha-ireru8.jpg台湾の
お茶好き人が入れてくれる。
お茶には、口内の油分を消してくれる作用が。
最初のお茶は、容器を暖め、葉を洗う意味でも捨てる。
必ず、毎回 出し切る。4度 5度と味の違いを楽しめる。
香りも大切な要素で、嗅がせて、”どうですか!私の お茶は?”

0724-Ocha-ha-10.jpg500g、7000円
最高級茶は500g、15万円のも。彼は 2種をブレンドして。
0724-Ocha-1.jpg見えるかな、急須の口に
爪楊枝が刺さって。彼は日に3回4回と入れる。本物のお茶好き人、必ず 他人にも振舞う。

2006年7月25日

EMSで届いた。夕陽の位置。

0723-okurimono-Orita-8.jpg御本人が
特急便で日本食を、我等も美味しくイタダキますが、、、、

0723-Orita-isi-1.jpg御客様を御迎えします
良い写真を沢山写されます様、自然条件の御加護を、、、、
0723-yama-yuuhi-4.jpg夕陽、夏至から1ヶ月経っての位置。
2週間後には、左(南)の低い山に沈むかな。狙い目!

2006年7月24日

青年と山頂へ。それを見習って拾った学生。

0723-America-yamaGomi-20.jpg友好亭で
泊り客のアメリカ 14歳と。久し振りに、ゴミ拾いしながら老寨山山頂へ。

0723-yamaGomi-A-1.jpgセメント袋に一杯
2人で1,5杯ものゴミを集めた。経済的に豊かになり、ゴミも増える。
日没が19時13分。二人で小走りに下山(青年は2つのゴミ袋を持ち)11分で降りた(12分で山頂に登れる?不可能ヤ が印象です)。私の足が遅い!かも。
0723-Konan-yamaGomi-2.jpg我等を見て、女子学生が
拾い始めた「こちらこそ、有難うと 言います」(ここは中国ですから)。

2006年7月23日

アメリカから。世界旅行の人と。

0722-Amerika-.jpgスゴイ
長男、次男は中国語も日本語も 勿論英語も、旦那さんも日本語も英語も。お母さんは、中国語、日本語、英語がペラペラの家族。
11歳まで中国で、それから日本、結婚してからアメリカの母親。何とも スゴイ家族に驚き!!

0722-Amerika-isi-.jpg記念の石。将来の再訪時に
食べ物もスゴイ、何でも試みる勇気、俗称は”ゲテモノ喰い?”恐ろしい程の。
0722-niwa-42-.jpgこの人もスゴイ
女一人旅、2年世界一周。南米では10ヶ月を55万円で、アルゼンチンとペルーが物価が安かったと。
喜多郎も将来は、世界一周かな。今から 沢山の お友達を作って、英語をマスターし、世界の中国人街をも放浪かな。遊学?見聞?何歳で出発かは。若すぎては 何も残らないし、でも諺に「可愛い子には”旅”をさせろ」とも。3ッ子の魂 百まで、、、、親馬鹿しています。

2006年7月22日

庭の工事は続く。日本語を勉強中。

0721-No2niwa-konkuriuti-1.jpg生コン
暑い午後にも作業、助っ人の滞在中にと 毎日作業。写真では見えないが、ブロックの上に 転落防止の安全柵を、在り合せの鉄の棒とワイヤーで造った。
生コン打ちも疲れたワ!何も手伝わない人が口出しして、1F2Fの床拭きは私がして、ホンマに疲れたわ。

0720-japanese-Mou-7.jpg大学で日本語科
ここで日本語を、より上達してほしいもの。滞在している日本人客が少し会話を、私は忙し過ぎてユックリ対話する時間も、この先は暇な時間も出来よう。
 今日満室で、、、、御陰様で 8月も予約客が。

2006年7月21日

新しい「記念の石」に。庭を改造中。

0720-isi-sizuoka-.jpg感謝を込めて
特別注文の新しい大理石の「記念の石」、”同郷で同世代人”からの「贈り物」で飾った。
感謝の意を込めて、下手な我が字で、、、、
 昭和天皇の発言メモ発見。靖国神社参拝が、”A級戦犯合祀以後 中断”に。被害者側の韓国、中国が怒るのが解る、過去の侵略戦争を美化した、、、、

0720-niwa-konkuriuti-007.jpg庭で食事も可能にと
コンクリート打ちを、一昨日 昨日と‘助っ人‘と‘おばちゃん‘が暑い中コンクリート練りを、今日21日も頑張って練り 完了を!セメントを8袋かな、砂はレンガ屑を篩って!「モッタイナイ」から。レンガ片を土に打ち込んで、、、、ほんま アホしています。老寨山に山道を造ったのも アホやから。
 暑い中での労働を、元気に働ける幸福さ、健康が財産で。
  予想最高気温36℃、暑い!!

2006年7月20日

大連で2年の語学留学。静岡から贈り物。

0718-isi-kobayasi-.jpg早期退職
地方公務員を。語学を学びに。
 話し変って、19日早朝、CM撮影で20余名山頂へ、「中国 移動電話」の風景撮影ですと、老寨山山頂もこれで何回目のCM紹介かな。TVドラマのクライマックスにも。それだけ‘素晴らしいから!‘。

0719-Okurimono-Shizuoka-1.jpg先日、山に登られた静岡県人から
「静岡の贈り物」届く、嬉しい限りです。有難う御座います。
私の下手な字で、石に刻みましたが、ペンキはこれからで、明日には紹介します。

2006年7月19日

洪水は来なかったが、下部をえぐられて。流木を薪に。

0718-mon-Dosyakuzure-.jpg支流の場所
某店 入り口の門の下部が スッポリ流されて。
洪水、大増水は 幸いにも来なかった。

0718-ryuuboku-.jpg流木を、午後には 炎天下で
男2名が ノコギリで ごりごり薪作り。暑さ知らずの?昔からの労働で、暑さは 慣れて!
我等は 昼間 木陰の下で 土木作業を。炎天下では 体力的に無理ですわ。
大理石を運んだり、セメントを練ったり、助っ人と作業を 休みやすみながら。

2006年7月18日

助っ人が壁を造った!。石製材所へ。

0717-kabetukuru-007.jpg助っ人
肉体労働を、1日で「壁」がほぼ出来た、(私一人では3日仕事を)。若い、体力の有る 北京留学生。
 有難う御座います。助っ人仕事は マダマダ沢山在ります、ヨロシク。

0717-isiya-8.jpg喜多郎と石材屋へ
ミニバンに乗ってドライブ。帰りは居眠りしたが、子供は車が好き、動くものが好き、男の子だから か。
大理石を運搬し、「記念の石」準備完了。

2006年7月17日

暴雨で、支流から濁流。レンガ屑から‘砂‘を、オープン テラスを。

0716-siryunodakuryuu-zousui-18.jpg今も暴雨
天気予報は”暴雨”大雨よりも多い‘雨マーク‘。北隣りの湖南省では‘100年に1度の大雨‘で35人が死に、100名の行方不明者と。まだ雨は降り続いて。
 桂林、興坪にも洪水が来るかな?
写真説明:右側から濁流の支流が流れ込み、上(北側)の漓江本流はまだ澄んだ水色。日曜日で観光客とバスが沢山。
この右手(支流の1部)両岸が 水流でえぐられて、土砂崩壊しています。(1昨年にか堰堤を造った、その場所が壊れた)。膨大な水位置エネルギーは、簡単な護岸工事では、根底をエグラレルから。
 支流のお店、大型竹イカダ、10艘程が下流に流された。それを拾った者が所有者!倒木しかり、拾った者が、製材やマキ燃料に。
 断水です、濁流なのでポンプ アップしない。幸いにも 電気は来ています。

0716-suna-kouji-007.jpgレンガ屑を 砂篩いに、
‘もったいない‘から。セメント粉とで、生コンにさ。庭を‘オープン テラス‘に改造!!
 助っ人が来てくれたのですが、この暴雨では ネ、、、、
立ち木はそのままで、竹垣根、鉄棒などは取り外す。最多で30名分を 準備。
0707-hunee-semennto-8.jpgセメントを船へ
トラックから、手積みで降ろし、船へも人の背で。漓江に「橋」は‘観光‘の為に造れない。
 前後のレンガの山、船積みした後に‘レンガ屑‘が残る、普通は漓江に投げ捨てる が、もらって来て 分別整理、砂は生コンに、レンガ片は 積み重ねて壁にも。使える物は、(捨てるには モッタイナイから) 使う。中国の田舎で アホ しています。

2006年7月16日

プロが撮影。外は暴雨、雷も。

0714-Sayama-Kitarou-007.jpg佐山氏撮影
瞬間の表情が。
 いつの日にか、写真集「漓江(仮)」が出版されるかナ。5年先?まだ日本人の写真集が無いから。出版されたら 日本人”初”でしょう、「漓江」を撮るには年月が必要と。
 外は大雨、台風の影響でしょう。

0622-kawarimono-book-007.jpg”変わり者”精神科医の本
「異常性格の世界」西丸四方著。
精神科医の書く本は面白いと想う。この中で、‘漱石と藤村の異常心理分析‘が、有名小説を読んだだけでは決して知りえない、”へエー”の印象が。
 世界の有名な画家や哲学者、作家を、色々な精神科医が専門を駆使して”分析”、公表して、”へエー”がネ。
0704-hon-3satu-3.jpg本「中国語会話」。小林様の贈本
眠りに入る本!!、潜在的に中国語を学びたくない心理がさ、、、、でも、次々に新しい単語や、知らない発音に、、、、でも暗記しようとする意欲がネ、”老いた私は消え去るのみ!”記憶力は若い人の特権。
 喜多郎も日々、単語を 興味を持って 発音を繰り返しています。もう老いた私、、、、60才。
暑いなか、肉体労働しています。働こうとする意欲、元気に働ける喜び、汗をかく我。健康が財産。

2006年7月15日

パソコンが好き。絵画の学生100名も。

0711-pasokon2-ane-.jpg変化する物
喜多郎は男の子、動く物や、変化する物が好き。人も好きで、抱っこやオンブも。
雷が、早く終了しないと。

0714-gakusei-Ekaki-4.jpg学生が写生、湖南省から。

2006年7月14日

上海の留学生。蓮の実。

0713--isi-Moe-9.jpg留学生
沢山学んで 流暢になってね。お元気で。

当館が連日の満室と、私の雑用で、気配りが足りず、済みませんでした。
0707-hasunoMi-1.jpg蓮の実、まだ 青かった!
乾してからが、食べ頃!始めて知りました。

2006年7月13日

U,S,A,から同世代人。歴史書「呉子起つ」。

0710-LA-isi-.jpg70年
完全共産の イスラエル”キブツ”に活き、そしてアメリカ生活へ。人生いろいろで。
世界のアチコチを、資源を求め歩く達人なり。70年世代の一人、将来も世界を歩む人生、楽しそう。
石、ヘブライ文字で、読めない、(意味も忘れたヨ)、本人の「記念の石」ですもの 気にしない。世界に2つとは無し。再来を約して。
 あの頃を、学生で過ごした我等、人生イロイロ、そして 今を迎えて。当方は 僅かの日本年金でも暮らせる アジア田舎暮らしの身。第2の人生を、どう、何処で、、、、同世代、語る内容も奥深い。

0704-book-rekisi-.jpg大連留学の小林様から
「呉子(起)起つ」毎晩 面白く読めた本。戦術、戦略の天才将軍。有難う御座いました、本棚へ。
歴史書、資料に乏しい大昔の歴史に、著者の筆力で、、、、

2006年7月12日

姉妹が‘お店‘を興坪に、挨拶に来られて。

0705-MisTang-Kanpa-2simai-7.jpg100元札
投入。興坪に‘バーのお店‘を思案。まだ時期が、御客様が少ない夜間なので。
陽朔での店舗借り賃が 月3500元、高すぎて、、、、「商い」とは 難しき。

0706-isi-Tang-meimei.jpg妹さん
へそ出しの高級な服装で。(お眼目 クラクラ!)。
0706-isi-Tang-jiejie.jpgお姉さん
達筆で。はたして オープンするかな。

2006年7月11日

柔らかい子供。外で沐浴。

0710-Kitarou-yawarakai-.jpg柔らかい
子供は 皆 柔らかい。座禅も至極簡単。足が首の後ろにも可能です。
今のまま柔らかさを保てば、特殊技能者、、、、

0710-Kitarou-ane-4.jpgお姉さんが 沐浴手助け
彼女は、教師試験を受けに帰郷とか、また会えるでしょう。有難う。
0710-Kitarou-baketu-2.jpgバケツにすっぽり入って
屋外での沐浴、藪蚊に喰われても、開放的で明るい ひと時。私にも 有ったでしょう、覚えてはいないが。

2006年7月10日

お手伝いさん。香港から ゴミ拾い志願者。

0705-bijin-007.jpg1週間
無給のお手伝いさん、喜多郎の子守り、皿洗い、客用品の洗濯も。
大学新卒、夜半に突然来られて、満室なので 1Fソファーに寝泊りにも、何も文句を言わず、おとなしく滞在。もう おとなですナ。
思い出すな、私も日本の山小屋で”居候 イソウロウ”をした事を。

0706-isi-Bijyo.jpg以前 欧米系の彼氏がいたと
美系?なのに 今回、誰も口説かなかった?!親は教師とか。
0709-HongKong-kara.jpg香港から、ギネスに
「ゴミ拾いは何時 始まる?」、「まだ 企業スポンサーが見付からないので、香港でも捜して!」。漓江のゴミ ポイ捨て。環境保護 ゴミ意識の向上。満たされた余裕のある 部外者が気付く。ヒマラヤでも同じ、森林も。

2006年7月 9日

上海 日本語教師。ソックリさん。西安から。

0706-isi-Shanghai-Inamori.jpg我愛上海
高校国語教師を早期退職し、上海へ。上海が大好きで、永住したい位の惚れ込み様。自然が残る 興坪を 何卒 よろしく。

0705-Xian-Sokurisan-1.jpg将文麗 ソックリさん
写真撮影技術が ネ。彼女本人は ソックリさんです。喜多郎も満足想。
0706-isi-Xian-.jpg西安の日本語教師
やはり 元国語教師だった。

2006年7月 8日

大入り 満員、七夕の朝に。”ふれあい興坪”確定。

0707-Tanabata-asa-.jpg御縁で
七夕の朝に、記念写真。記念すべき 連日の‘超満員‘の日々。
御陰様で、”ふれあい興坪”も確定しまして。 2006年の七夕の日、記念すべき日になりました。   皆々様、有難う御座います。
 12年前にも来られた方が、この田舎街の変り様に 唖然!「小型観光船など無かった」。昔の 1988年 発行の”50元 兌換券”の風景なのですが、観光開発の遅れ、、、、イイや だから 私が入り込めた?物事の解釈でさ。
 私の来た10年前は?もう覚えていない。写真ネガの整理をしたら!山頂から真下の港の写真が1枚位はあろう、、、、捜すのは 何時になるやら!

0707-isi-Pekin-.jpg留学生、映画監督か
興坪の風景は映像になります。沢山のCMにも、映画の舞台にもなった風景。
国を代表する‘紙幣‘の風景ですもの。
0707-isi-pasokonsyuri-.jpg世界一周 無事祈願
御無事で。パソコン修理、有難う御座いました。

2006年7月 7日

滞在記念に。自ら描く人も。

0706-isi-OkayamaDC.jpg医学生
うっかり留年とか。サッカー大好きで、二晩準決勝戦を明け方に、、、、
きっと 3位決定戦、決勝戦も、、、、私も観たいが。

0706-Isi-Roman-kaku-6.jpg自ら描く
これも生涯の記念に、石も残るし。
0706-isi-Romantic.jpg7個を石壁に
格闘技ダンスをタイ バンコックでも習うとか。
 ここ数日は、大入り満員の、1Fロビーにも布団を敷いて。これは開店してから始めて事 3日連続、、、、夕食を16人でも。
何人かはベトナムに向け出発。皆さん、それぞれ石に記念のサイン。忘れ得ぬ想い出になろう。

2006年7月 5日

静岡市から同世代の方。スロープ修理。波止場で絵画。

0703-isi-Shizuokasi-.jpg戦後生まれ
同世代の方々と、高校生時代の話しに。静岡も変った ナ。

0629-surou-basyo.jpg支柱でスロープが
このままでは通行出来ない。
0703-surop-1.jpgセメント2袋
石を運び、レンガ屑も大量に入れて。日当は3日分90元也。これで好し。
0704-kaiga-2.jpg学生達が波止場で写生
興坪は自然風景が残って、写生には最適なので。暑いから 木陰で。

ナツく。贈り物。手巻きタバコ。

0703-OkayamaU-2.jpgなついて
岡山大学生に、喜多郎は とてもナツイテ。

0703-okurimono-England-2.jpgカナダにも
喜多郎は 色々な貰い物を。幸せ者。
0704-makiTabako-1.jpg一番安い 手巻き
味が、彼は 残念ながら 諦めた。

2006年7月 4日

退職者、留学。田舎の病院で。

0703-isi-Kobayashi-2.jpg大連育ち
大連で語学留学 1年、全部で100万円也。日常会話をコナシテ「一人旅」。

0701-Kobayashi-007.jpg喜多郎に道化面
驚いて!まだ小さ過ぎた。
0703-isi-Keirin.jpg興坪出身、ニュージーランド
今は 桂林に。
田舎の病院で、腰痛治療。痛み止め注射、レントゲン、マッサージ、針治療、飲み薬等 全部で100元弱でした。高度の手術等は桂林の大病院で、簡単なのは田舎でも、西洋医と中国医併用で。

2006年7月 3日

手伝ってくれた。マリリンモンロー。

0701-kodomo-suna-.jpg砂篩い
小1と小3の子供が御手伝い。有難う御座います。
波止場のレンガ屑(漓江に投げ捨てる!)もらって来て、分別!砂はスロープ工事のセメントとに、レンガ破片はスロープの埋め込みに。小学生が 砂篩い作業を、暑い中、遊び半分としても ありがたい事です。

0628-Marilin-AndyWo.jpgシルク スクリーン
「‘マリリン モンロー‘ 何故、飾ってあるの?」、 ポーランド人と対話が進んで、「昔、ネパール ヒマラヤで”アンディ ウオーホル財団から、3000ドルのカンパを受けた」ので。
「直接 彼に 逢った?」「いいや」。
0628-book-AndyWo.jpgアンディはスロバキア生まれ
この本では、出生地が不明ですが。スロバキアの田舎村に「アンディ記念館」があるよ と。(本の年表に、ヒマラヤでの事が紹介されています。日本人は私だけ?)
 再び、読み返しを始めました。ポップ アートも 門外漢でして。

2006年7月 2日

近畿日本ツーリスト、本。記念の石。

0628-IIda-kinkiNihon.jpg抱っこ
喜多郎が食べかけのパンを持って。
日本人向けのアッサリ昼食。御予約で準備致します。
「冷や奴。おひたし。ソーメン。野菜炒め。漬物。佃煮。味噌汁。蕎麦。卵料理。季節の野菜料理。冬ならば火鍋。郷土料理も、etc」御注文をどうぞ。サーモン料理も可能です。

0628-KinkiNihon-hyousi.jpgムックの本、かなり昔の。
老寨山に山道を作った紹介記事があります。
0629-kinkiNihon-isi-.jpg90cm一番大きな石に
紹介された記念ですもの。

2006年7月 1日

トンボ2種。子供用 竹いかだ。

0628-tonbo1-007.jpgおにやんま
詳しくは解りませんが。ロビーに舞い込んで、喜多郎は怖がって。

0629-tombo-2.jpg少し赤いが
この他に、シッポが黒い小型トンボも。昆虫が沢山います、森の中。蝶チョの写真はナカナカ。
0629-kodomoyouTakeikada-.jpgこども用です。
半分に切り、桐油を塗り、乾燥させて。大人の体重ではネ、容易に転覆する幅ですから。遊び用に。