屋外で
京大生、喜多郎も餃子を。山頂で夕陽を見てから 水餃子で夕食に。
小さいサインで
どこの誰だか、、、、
興坪の老街(ラオジエ)でのスケッチで、「間口が狭く 奥行きが長いのは京都と同じ造りだ!」、昔の税金は 間口の広さで税額が、もしかして中国でも同様だったかも。
家庭菜園
菜の花、無農薬 有機肥料でアイー(おばあさん)が作っています。ただ残念なのは、時期をずらしてないので、一斉に開花して、その時だけで終了。
TV取材
喜多郎も参加、”日中の架け橋”。10回目かのビデオ収録かな、次も出る ナ!
陽朔県 前のトップが”民間大使”と 本にサインしてくれたな。
女性が書いた
さらりと”阿倍仲麻呂”、日本関連歴史を知っている!「遣唐使」PR看板から インタビューへ。
記念の石
TV局のマークかな、面白く描いたので。
和食とTVクルー
民間交流を評価する取材内容でした。少しでも 「隣国仲良く」と願う我等。
20歳女子大生がインタビュアー、カメラマンに指示して。湖南省では有名 タレントとか。でなきゃ 指示など 出来ない相談よ。
興坪に来て 最初の頃には”日本鬼子””日本軍のスパイか”から、TV収録では住民は言う、”老林”(尊敬の老に 林。林さん)と。興坪に11年目の今、経験から、、、、”歴史教育”が さ。
日本に1年半居た 周恩来(昔の総理)さんは、日本を知っていた人。留学や滞在での 民間交流が進めば 無用な摩擦やネジレは減るだろう、そう期待して。日本は何処へ、ウレウ。
喜多郎
シャボン玉、それも大きい玉。液に砂糖を加えて、ストローの先にも工夫して。
大学院合格者
遊んで下さり 有難う。写真に残して いつまでも 想い出。
ペンキを入れて
色取り、いつも直感で。日付けには黒が原則で(理由は無い)。
姓の伊吉さん、珍しく、広島県に1軒しからしい。ルーツ探しが楽しそう。
2日で
(仮)ですが、素人の私が看板描き!デザイナーさんが来られたら”御教授を”願いて。この裏面はサラです!
もう、地方TV局が収録しました!
奇麗な 夕陽
肉眼では、真っ赤でしたが(川面に映る色は 真っ赤)写真では 夕陽の色が出ない。
山頂から、幾人もの人が観た「絶景」を。
合格
京都大学HPから、213を確認!早速 大学院合格記念に石板のサインを。
アヤカリタクテ
抱っこしてもらい、パチリ。(親父の頭からして この子が難関大学へは 無理だろうが。)
今までに、博士、医者、教授、社長etc、皆さんに アヤカリタクテ、、、、ユニークな人物が面白い!
1Fロビー
30余名様まで可能に。02年6月に 30余名様を 御迎えした事があります。
外で御食事も と
3mX3m テントを。気持ち好い 外での食事も。
直径 1,4mの 丸テーブル
冬に ”火鍋”が可能な 穴あき 丸テーブル。10名X3卓。
1卓 155元也、手作りの木製。表面を ニスの3度塗り、楽しかった作業。
これで 準備完了。
4回目
札幌から、毎年の様に。お顔を覚えていましたから、印象に。
0000峠をバスで越えて
峠の名前を、カラコルム ハイウエイの、忘れた。カシュガルに入って「中国の飯が美味い」、敦煌に着たら「本物の中華料理、美味い」、老寨山旅館の食事が”特別”。そりゃ日本食ですもの。
安心感、ユッタリ感、パソコンが使えて、他に御希望は?可能な限り 皆様の御期待に。
3連泊、桂林から香港へと、寝台列車に。旅はまだ続く、インドの南部へも。(私に 旅の熱意、気力が ネ。各地からの 御客様を御迎えする 役 ヨ)。
日本語科の女子大生
3週間程 お手伝い。国際協力の石に、この先 増える予感が。
ふれあい
興坪。
美女達すら 思い出せなく
どこの 誰?失礼しました。
始めに造った石碑
この上に、新たに1つ乗っかって。将来 増え続けるのかな?どちらでも気にしない。
北京人
Thanks。石板の表面が乾いている時。
濡れると黒っぽく
2度楽しめる、石に文字。
楊堤郷〜興坪鎮、
漓江沿いのハイキング案内 写真本。始めて見ましたので、パチリ。徒歩に16元+4元かな 今は有料なので。
興坪〜陽朔のバス、21日も全く動かなかった!2日目。運賃UPを要求とか。
新卒で
東芝 TV 中国部門へ。大連にTV工場が(東芝のか、合弁、協力、、企業形態は もう忘れた)プラズマ?薄型TVの名称も もう忘れた(もう年だな)。
喜多郎が将来、どう進学するのか、大昔の慶応大学は”高額の授業料”でも今は 普通金額、、、、
中国、日本、欧米留学?大体 大学に進学する価値のある頭かな。諺「三つ子の魂 百まで」これ親の責任か。既に国際交流しているから、、、、自由に 自然児に タクマシク。
(仮)「21世紀の遣唐使」
参加を要請して。休暇が取れたら参加!企業のPRは どう手続きで 可能かな。
太陽が南下して
波止場の左隅から パチリ。屋根付き竹イカダが 逆光で。
興坪〜陽朔のバスが20日午前から、全て消えた!運転手のストで。エライコッチャ。
オートバイ タクシー、ミニバン等で移動は可能。
青空と雲
空気の澄んだ日に。
竹イカダの釣り師
高級魚の”桂花魚”が釣れたかな。後ろの山は、タニシ山(かたつむり?)。
岩壁、垂直!
こんな岩山も在るのですね。
夕焼け
奇麗に染まって、なかなか見られない 奇麗な夕焼け。
割られた
山頂の「記念の石」。今までは 石で石の表面を打っての傷だけだった(日本の字が消えつつ)、今回はタガネとハンマー使用の確信犯!2万元の2が。
修理は出来ず、新たに作っても壊される、思案中、、、
日本人が造った山道を登って、日本人が造った「友好亭」で、「記念の石」に、、、、
真下に黒い屋根
老寨山旅館の屋根ですが、見えますかな。山頂のテスリから身を乗り出してパチリ。
カヤックが2艘
下流に出発、優雅な旅行。そう言えば5月に1泊したカヤック青年が居たな、彼のHPでカヤック紀行を紹介したでしょうから。
白い点もゴミ、漓江もゴミのポイ捨て物が漂う。
もうゴミが
ザイルを使って「ゴミ拾い」して、たった1週間で そりゃ仕方ない。
日本の山でも、ヒマラヤでも 同じでさ。ゴミのポイ捨て。
地元民も観光客も、ポイ捨て意識の変革が、「習慣を替える」キッカケから、、、、”ギネス記録に挑戦”スポンサー企業、もしかしたら、、、、夢物語。
山頂
元気に登頂、「友好亭」で 写真パチリ。66歳かな、普段はジョギングをされて。
来年 秋に 2ヶ月もの「大計画」が、今10月始めには その下見の踏破調査が。団長さん”御成功”を!!
日の出
朝日、清々しさが気持ち良い。
(私 久し振りに日の出を見たナ、下界での雑用が多くて、、、これ言い訳)。
記念に石板へ
”老寨山を登らずに”ではなく、”見ずして”です。或る人‘早とちり‘?、、、、
登って観た人は、皆さん満足されます。「絶景」だから。
棚造り
ベニヤ板で、銀色ペンキを塗り、台所で使用。
2段ベット
倉庫?物置、布団を敷いて2段ベット、懐かしい蚊帳も吊り完璧。
石割
不要の石、大ハンマーで、石壁造りへ。
波止場で
青空の「僧侶と尼さんが密会」山の北方向を撮影。
暗幕を被って
プロカメラマンは御仕事。
ホースマン
高級カメラ、Made in Japan。日本製品、有難う御座います。
松下のLUMIX
彼のサブカメラ。私も同じ LUMIX、DMC−FZ20なので、笑顔で お互いにウナズク。
オモチャ
喜多郎が楽しむ、まだ自分では動かせ得ない。2才と7ヶ月余。
日本語の単語も少しづつ覚えて。
感謝を石に刻む
上海の東さん等の贈り物。絵本も 有難う御座います。
公衆無料トイレ、男
ちからマカセに 蛇口を壊されて。修理へ、可能な限り修理して。購入した方が安上がりかも、でも原理や構造を学べるチャンス。別物から、電動サンダーで外径を小さくして、修理 成功!嬉しい。だから 修理が楽しい、(道具もあります、高かった”ショック ドライバー”も)。大昔、ネパール ヒマラヤでの 「微小水力発電」造り、ヒマラヤ山中では、自分でしか トラブル全てを解決するしかなかった。(30代の湧き上がる熱意だけで進行した。)今は楽、山道も短い。部品も手に入る、もう雲泥の差さ。”青年よ、大志を抱け!”若いから 可能な事をセ!!「あらゆる世界が、君のパワーを待っています ヨ」。
喜多郎と
アメリカ、カナダに1年づつ、そりゃア英会話が上手だワ。喜多郎も将来は欧米留学かな?
記念に
銀色で真珠を表現した つもり。
倍率が200もの難関を、そして約200万円の宝石鑑定士受験料、、、、、高級品は1000万円以上も
老寨山は岩壁の
そそり立つ上に。某人、空中遊泳したくなる と、、、、
落ちても 捜し様が無い”断崖絶壁”、TV劇のクライマックスの場所にも。そして「絶景」、無料。
玄関
以前は、ただコンクリートに凹みで”蓮花岩”と表示があるのみでした。9年前かな、赤ペンキとハシゴを持参して、凹みに赤ペンキで「蓮花岩」と描いた私です。
今春、広州の企業が新装開店し、私は始めての参観。喜多郎は2回目。
道路は砂利道のママ、橋も流されたママで無い(増水したら不可!)鍾乳洞周囲の工事もマダ途中、、、、
蓮花盆の鍾乳石
108個の鍾乳石は ここだけ。世界中にも 蓮花盆は2ヶ所のみ。
ヘルメットを被って
天井が少し低いので、長身の方は充分な御注意を。
音の出る鍾乳板も2ヶ所に、流れる小川も、ピカピカ自然に光る鍾乳石も、
ライトアップ
カラーが好きな中国。鍾乳洞内、中国語だけで解説、中国語と英語の名称版があります(IceがIcyと表示!)世界に誇れる貴重な鍾乳石、鍾乳洞なのに、宣伝 PR、何かが不足。舗装道路、橋、駐車場も。
近畿日本ツーリストさん、再開発して、”蓮花石の上で、記念写真”仏教徒の永遠の天国 ”あの世”写真ヨ!(今回は ダメ! 断られた)。
テレサ テン(�ケ麗君)の音楽館が台湾人の「愚自、、(名を忘れた、彫刻の広場)」に、香港に在った「彼女の家」がここに移転されるのでしょう。
記念の石
ザイルで安全を確保して。私には出来ない、怖くて!何せ 落ちたら あの世!(死体が見付からない、収容すら困難な崖)。
波止場から超望遠で
友好亭、赤いザイル、人。
市川さん
有難う御座いました。
藪の中にも、沢山のゴミ
投げ捨てられた「ゴミ」が沢山、何処の誰?が、、、、
日本の山にも沢山のゴミが、大昔 八ヶ岳で清掃登山をしたな。
御正月と
今回は老寨山に目的を持っての再来。
喜多郎も笛を持ち、真似る!
絵本が大好きで
北京外国語大学留学生に「ももたろう」を読んでもらって、御満悦。再来を御待ち致します。
日本の大学関係者
北京留学1年、次回には 御ユックリと どうぞ。留学生募集の看板を建てましょうか!
記念
カンパ、有難う御座いました。次回には是非、ユックリ 御泊り下さい。
「記念の石」は壁に固定してありますから。(日本語で失礼)。
サインだけ、スッキリ。
上海のTVタワー(男)
彼等から贈られた写真
次回には、喜多郎も大きくなって、中国語で会話も。(上海語は無理)。
吉野家
牛丼、14HKドル(朝)。
香港で最初に行ったのは、定番の「元気寿司」(回転寿司)。空腹なのに7皿しか、105HKドル。
スーパーの食品、握り寿司パック(安い)を2回も買い喰い!海の生魚が好き で。
香港で、1年Fヴィザは無く、半年マルチ。
桂林(陽朔)〜羅湖バス
帰りも。このバス駅は、香港から深セン 羅湖の税関を出て、左、エスカレーターで上へ、歩道橋を歩み。突き当たり(店の中)を左、すぐ右へと案内表示板に進み。この表示の中が待合室、切符売り場。1Fがバス発着所。係りの女性は英語がね。文字に書いて見せればOK.
深セン羅湖夕方、7:30出発。
陽朔郊外(街ハズレ)に翌朝8:30着いた。
予約の電話番号
広東語、中国語、英語で。欧米人が香港での切符を持参してバスターミナルへ。
香港で予約、購入が可能なのが便利。220元(桂林へ230元)、寝台バス。
バス、途中で、横転車を1度、ガラスの無くなったバスを1度見た!安全なのは寝台列車かな。
赤い雲
30日の夕方、7時5分頃。夕焼けは時々にしか見られない。老寨山と夕焼け雲も、そうはチャンスが。
31日の半月、
1日にはもう少し東(左)側へ、7日が満月かな。
2Fの外回りに
木材を食い荒らされて。アルミ板で補強し、長い釘を打ちつけて。
エアコンも故障、修理。5年目の建物、設備関係にも アチコチでガタが。
3日ほど、HPをお休みします。あしからず。
出発
ユックリな旅、のんびりな滞在、山へも何回も登り、皆と談笑も。
「ありがとう」 御礼申し上げます。
長野市の同級生
溺れた?、デジカメを水没! 読書もしたし、風邪も発症、、、、
語学留学の後、上海で2年
上海から飛行機で、ここへの為往復!ありがとう御座います。
この先、当館で 近畿日本ツーリスト ”ホリディー”ツアー「桂林、漓江下り」で宣伝され、より有名に。泊り客も増えるだろう、、、、増え過ぎを心配!(笑)。
”ホリディー”を御迎えする。 初体験で 始めの内は 緊張の連続 ‘てんてこ舞い‘だろうが、毎日の仕事ゆえ 慣れるし 軌道に乗るまで、10月第1週「国慶節」を乗り切れば。
庭で
インタビュー、喜多郎も写真対象で。ドイツでも紹介される?
昨日のプログ(書き込み)で、”近畿日本ツーリスト”漓江下り、写真付きでパンフレットが。
報告が入りました。日本在住の方々、是非 御覧下さいませ。「ふれあい 興坪」 何卒 ヨロシク。
パンフレットが届きましたら、ここでも紹介します。
女性記者の中国文
同行のフリーライター
記念の石。彼のHPアドレスをもらったが、まだ 開いてない、、、、
可愛い
喜多郎は肩車が大好きで、今日は日の丸を。(私が肩車しても写真はナシ)。
絵本「ももたろう」を
お姉さんと仲良く、絵本を読んで。漓江の風景写真集も大好きで、解説をしてくれる!
漓江で釣り
今回の結果は残念だったが、次回は場所を変えて 大物釣りを。(釣り針、釣り糸を準備して)場所はハシゴで降りて。
10分位
夕焼けのドラマを、順を追って。青空も残って。
右手の石山の名
「僧侶と尼さんが密会」、興坪 波止場からの名山です。
夕焼け、クライマックス
久し振りに、「絶景」を堪能。
両前足の歩行が、、、
まさか、BSE。 ( vCJDへは関係あるまい)。
始めて
私も乗って。さわやかな風に心地好く。100元を割り勘。
九馬画山の見える
興坪の波止場から上流へ、エンジン動力で40分。九馬画山の見える所まで。
1名は水泳を。私は 石拾い。もう1名は寝転んで、、、、明日は泳ぐとか。
31日の落日
20元札の裏風景の場所で、太陽が赤く美しかった。(喜多郎と自転車で行く)。