高卒18才で、先ず語学留学。父親の指導もあったのでしょうが、決断が スゴイ。
20才で本科進級、日本では決して体験出来ないモロモロの"災いも"自力で乗り越えて、卒業。
広州のホテル就職、都合4年の、異文化?島国日本人のゴーマンさも多数体験。
新聞記事から。ギョウザの具から基準の4万倍のメタミドホス、兵庫 高砂。ーー1月の話を 今頃になって、、、
南京大虐殺記念館で震災写真展、日本援助隊を異例の紹介。ーー歴史教育という、、、、
中国中南部で大雨。ーーここ興坪は大丈夫です。
四川省大地震、死亡者は最終的に8万人以上に達する、、、、
お顔が、二人で Vサイン写真を。
喜多郎も体験していく 異文化下での日本、、、
ボスニア戦争で米軍が中国大使館を爆撃、反米運動で 学生寮が一晩囲まれて、、、恐怖!
広西大学記念祭で、1万人の前で歌を唄う。
旧日本軍が南寧を爆撃した!記念日には、抗日の催しがあり、、、、日本人として どうする!必ずや 喜多郎も、、、、
旧日本軍の行為に、「歴史教育」の名において、、、、異常者から個人攻撃を体験。喜多郎も体験させられる事。私も体験済み。
2005年春、反日運動があり、広州日本総領事館のある勤務先ホテルが囲まれて、、、、
広州は広東語の世界、独学でマスター。中国語力は中国人と一緒、あえて言わないと中国人!
喜多郎も体験していく事柄を、どう乗り越えたか。
これから中国と付き合う人々に メッセージと言うか、体験談が貴重な資料になろう。
名古屋の父母の元へ 10年振りに。親孝行もしたいと。母は大学教官。