菜の花、食用で。もう登場に驚き、日本では春の風物詩ですが。
話し変わって。産経ニュース、"さらば革命世代"シリーズで。
昭和43年(1968年)。1966年入学、中国の文革の年に。
<<昭和40年代前半の大学進学率は15%ほどだった。>>もっと多く40%位に思うが。紹介記事の中で、奈良の田舎の弁護士の言葉に「その当時"私"でなく"公"の為に自己を犠牲にして、、、」。後半に続く。
水草が生長して 観光船のスクリューに切られて。
竹イカダにドッサリ 毎日の仕事、御苦労様。肥料や水牛の餌、草魚にもかな。
前から続いて、
"70年"は、確かに 私欲でなく、闘いは"公の為の"行動であったな。
ネパール ヒマラヤ山中での微小水力発電も(結果として)村の為に。タイ国北部の村興しも。ここの山道創りも 確かに"公"だわな。
蛍光灯の頭には、何故 新聞 TVが多数次紹介するのか判らなかった、中国のTVでも15回は紹介。今ヤット"私"でなく"公の為"だったからと。
ならば自分は"公の為"に肉体労働をしているか?いいや、結果として"公"だが。自分が動きたい、働きたい、自己の意欲で スコップを持ち、箒を。喜多郎が"箒を動かす""箒を持つ"のも同じ。要は 私の精神年齢が4歳児。 汗が気もち善い。
私欲が少ない、空腹感を知らない食、金銭欲も少ないし、、、元気、健康が一番。